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第1回 妻の体感幻覚のため、悲劇的な最後を迎えた婿養子

認知症治療30年の“ケアマネ医師”による介入困難事例へのアプローチ

第1回 妻の体感幻覚のため、悲劇的な最後を迎えた婿養子

●Webマガジンをはじめるにあたって

 認知症専門のクリニック「くるみクリニック」の院長、神経内科医の西村知香です。精神科医の夫と2人でクリニックを切り盛りしています。


 横浜市立大学医学部を1990(平成2)年に卒業し、神経内科に入局、大学の関連病院をローテートして、1996(平成8)年から4年間、神奈川県の七沢リハビリテーション病院脳血管センター(現 神奈川リハビリテーション病院)の急性期病棟に勤務しました。脳血管障害の急性期治療が中心でした。急性期患者を受け入れて、日々忙しく過ごしていたわけですが、今でもいちばん強く記憶に残っているのは、急性期医療のあれこれではなく、リハビリテーションを終えて、自宅退院した患者さんの妻からの電話です。


 私が病院に当直しているとき、夜中に電話がかかってきました。70代男性。脳梗塞の後遺症で不全片麻痺。リハビリテーションを終え、日常生活動作が自立して退院しました。患者さんの自宅近所のかかりつけ医に逆紹介し、転医しています。

 外来通院しているわけではないので、もう私の手を離れているのですが、ほかに相談できる人がなく、電話をかけてきたのです。退院してから、まだ1カ月ぐらいだったと思います。入院中、主治医だったので、なつかしく「お久しぶりですね」などのんきに挨拶しました。電話口の妻の声は切羽詰っていて、「夫が日本刀を振り回している。怖い。どうしたらよいかわからない」という相談です。 自宅に退院してから、夜になると「誰かが来る」と言い出し、もともと持っていた日本刀を枕もとにおいて寝るようになったとのことでした。現在のかかりつけ医に相談するように話しましたが、今までの薬を出すだけで相談に乗ってくれないということでした。今にして思えば、夜間せん妄1)ですが、当時は認知症の知識がほとんどなく、何とアドバイスしてよいのか、とっさに思い浮かびませんでした。そして、「110番してください」と私は言いました。妻は「警察を呼ぶんですか? それはちょっと」と抵抗感を示しました。しかし、「ケガをしたら危ないから、早く呼んだほうがよいと思います」と言って、電話を切りました。そのあと、その患者さんの妻が110番したのか、患者さん自身がどうなったのか、わかりません。


1)意識障害の一種。覚醒度が下がった状態。寝ぼけている、夢うつつな状態。単に、ぼんやりしているだけの場合もあるが、夢の中のような体験をしていたり、幻覚や妄想を伴うこともある。


 あとになり、精神科医の夫に相談しましたが、「それでよかったのではないか」と言われました。しかし、私は釈然としませんでした。当時は介護保険施行前で、地域包括支援センターも居宅介護支援事業所もなく、介護は自宅で家族が行うものでした。介護について相談できる人は、医師・看護師以外にいませんでした。でも実際に、医師で介護の相談に乗れる人が、どれくらいいたのでしょうか。七沢リハビリテーション病院退職後、開業準備のため、先輩の診療所に勤務しながら、空いた時間に区役所の認知症家族会の相談医を引き受けました。当時は、認知症とは言わず、まだ痴呆症と言われていました。区役所の会議室に、認知症の介護をしている家族の人が、月1回集まって、7、8人で、自分の体験を少しずつ話すというものでした。医学的にアドバイスするのが、医師の役目です。夜間せん妄や、徘徊など認知症の周辺症状2)で困っている家族が途方にくれ、怒ったり、時に涙を流しながら話していました。


2)認知症の2つの症状カテゴリーのうちの1つ。もう1つは、中核症状。中核症状は、認知症そのものの症状で、大脳の変性に伴う機能低下による欠落症状。記憶障害、失語など。周辺症状は、中核症状によって二次的に出てくるよけいな症状。徘徊のほかに物取られ妄想、暴言など。


 介護家族の人たちの姿が、七沢リハビリテーション病院で当直しているときに電話をかけてきた患者さんの妻と、ダブって見えました。この人たちにきちんと向き合える医師、認知症を積極的にみる医師が、世の中に少ないことを痛感しました。どうして自分も含め医師は、認知症の介護をしている家族の人たちを、支えることができないのか。その原因は急性期病棟に勤めていた経験から、自明のことでした。患者さんの治療で手いっぱいで、介護者のケアまでできるわけがありません。そこで、認知症専門のクリニックを作ろうと思い立ちました。認知症に特化すれば、認知症の介護家族のケアをする時間もできるのではないか。介護している人は、忙しくて時間がありません。介護家族のケアだけでなく、施設や病院とのやりとり、当時新たに制度ができた介護保険や成年後見制度も含めて、まとめて面倒をみようと考えました。だいそれたことですが、当時話題になっていた「FOCUSED FACTORY」3)を、認知症の分野で作ることにしたのです。1999(平成11)年、民法が改正され、2000(平成12)年から成年後見制度4)が施行されました。


3)Focused factory とは、「内科」とか「循環器科」という従来の分類とは違い、一つの疾患に特化(focus)した診療所のこと。認知症で言えば、記憶障害や注意力の低下、服の着方がわからないなど高次脳機能障害は「神経内科」。幻視や妄想が出て、暴れている場合は「精神科」。足の運びが悪くなってトレーニングが必要な場合は「リハビリテーション科」。介護の仕方についてのアドバイスは「ケアマネジャー」。後見制度、障害年金などは「行政」と、バラバラに対応されていたが、その全てを一つの診療所でカバーするというもの。


4)おもに財産管理を援助する制度。以前は禁治産、準禁治産の2制度だったが、成年後見制度では後見、保佐、補助の3類型になり、一つの制度で、より軽度の能力低下でも利用可能になった。また診断書、鑑定書が簡素化され、利用しやすくなった。


 1999(平成11)年11月に、世界初の抗認知症薬、アリセプト(R)(ドネペジル塩酸塩)が発売されました。

 2000(平成12)年に介護保険法が施行されました。

 こういった世の中の流れも、私の思いつきを後押ししているように感じました。また当時は、認知症の介護に携わるケアマネジャー、ヘルパーなど、医療関係以外の人々が、認知症に関する情報を十分に持っておらず、介護に携わる方々への、もっと積極的な情報提供が必要だと感じました。そのためには、ケアマネジャーやヘルパーさんたちが、どんな仕事をして、何に悩んでいるのか分からなければ、適切な情報提供はできません。そのため、私も勉強をして、2001(平成13)年にケアマネジャーの資格を取りました。そして、実務研修を受けて、介護職の方々と多くの情報交換ができました。また、認知症へのアプローチとして、生活そのものに関わるケアマネジャーの視点を得ることができました。

 2002(平成14)年9月1日、「くるみクリニック」を開業しました。




認知症治療30年の“ケアマネ医師”による介入困難事例へのアプローチ

324円/1記事(税込) 毎月1日発行(著者および編集の都合により発行が前後することがございます)

筆者プロフィール

西村知香

くるみクリニック 院長

西村知香

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