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第1回

The座談会 ヨーロッパ医学留学をおえて

第1回
2016年8月に刊行され、多くの方々から好評いただいた書籍『Theヨーロッパ医学留学』では、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、オランダ、スイス、ベルギーに留学中、または留学経験がある先生たちに体験談を語っていただきました。本書では留学を決意したきっかけから、留学のチャンスを得るまでの経緯、そして留学が決まってからは留学準備、留学手続きが完了するまでの試行錯誤、また当時の勤務施設との調整まで、細かく書かれています。また当然、留学中の仕事や、現地での生活についても、手厚く紹介されています。

本書の刊行から2年、執筆者の先生方も全員帰国され、すでに国内施設で活躍されています。今回は帰国に際してのエピソードや、国内の臨床に戻って感じていること、そしてこれからのことについて語っていただきました。また、本書執筆者以外にもヨーロッパ留学経験者の先生をお迎えして、さらにお話しの幅も広がっています

これから留学を考えている若手医師や医学生はもちろん、ヨーロッパの最新情報に関心のある方まで、多くの方々にとって関心をもっていただける座談会の模様を、今回から3回に分けてお届けします。(Medimaga編集部)



モデレーター

金子英弘先生

東京大学医学部附属病院循環器内科

ドイツ:Heart Center Brandenburgに留学(2014-2017)

座談会参加者(五十音順)

梅本朋幸先生

東京医科歯科大学附属病院循環器内科

イタリア:Ospedale Civile di Miranoに留学(2015-2017)

菊田雄悦先生(後半から参加)

福山循環器病院循環器内科

イギリス:Imperial College London, International Centre for Circulatory Healthに留学(2015-2017)

末永祐哉先生

順天堂大学医学部附属順天堂医院循環器内科

オランダ:University Medical Center Groningenに留学(2014-2018)

杉本匡史先生

三重大学医学部附属病院中央検査部

イタリア:University of Milanに留学(2015)

ベルギー:University of Liègeに留学(2016-2017)

外海洋平先生

大阪警察病院循環器内科

オランダ:Academic Medical Center, University of Amsterdam(AMC)ThoraxCenter, Erasmus Medical Cente(r EMC)/Cardialysisに留学(2015-2017)

林健太郎先生

手稲渓仁会病院循環器内科

ドイツ:Asklepios Klinik St. Georgに留学(2014-2016)

福永真人先生

小倉記念病院循環器内科

チェコ:Institute for Clinical and Experimental Medicineに留学(2015-2017)

出席者の紹介


【金子】
皆さん、こんにちは。2年ほど前に『Theヨーロッパ医学留学』という本を出させていただいて、その当時われわれの多くは留学をしていたわけですが、ほぼ全員が帰国したということもあって、今回はこのような座談会をセッティングさせていただきました。ではさっそくですが、まずは出席者の皆さんに簡単な自己紹介と留学に対する印象、そしていま考えておられることについて教えてください。


【杉本】
僕は2015年にイタリアのミラノで留学アプライして、OKと言われて留学を始めたのですが、実際には現地に行ってから長期滞在ビザが取れませんでした。半年かけていろいろトライしたもののダメだったのでベルギーのリエージュに移動し、そこで約2年弱留学していました。そして去年2017年10月に戻ってきて翌11月からは三重大学に勤めています。


ヨーロッパ留学中の話はこの後も出てくると思いますが、戻ってきて今何をしているかというと、留学中に携わっていた研究の執筆やその解析をしています。少し特殊なのは、留学先の先生から誘われて、しばらくは年に数回ミラノに行ってデータ解析、執筆を続けていくことになっていて、ちょうど2週間後にもミラノに向かいます。


【末永】
僕は、2005年に鹿児島大学を卒業して、初期研修を亀田総合病院で受けてから後期研修、その後もスタッフとして残りました。そしてそのまま2014年にオランダに留学しました。留学前から心不全の臨床研究をしていたのですが、日本で心不全の臨床研究についてトレーニングを受けた人がほぼいないということもあり、自己流でやるよりは誰かに習ったほうがいいだろうと考えて、2014年から3年半留学して今年の2月に帰ってきました。4月からは順天堂大学の循環器内科に入ることになっています。


【福永】
私は2006年に大学を卒業して、末永先生と同じく初期研修医から10年間ずっと小倉記念病院で臨床をしてきました。専門は不整脈です。海外で臨床をやりたいと考えて、いろいろな選択肢がありましたが、まだ誰も行っていないところに行きたいという希望があって、チェコのプラハに2015年から2017年1月までの2年間行ってきました。今はまた小倉記念病院に戻って臨床を続けています。


【外海】
僕は2008年に大阪大学を卒業後、大阪警察病院で初期研修をした後、桜橋渡辺病院に5年間在籍して、2015年からオランダのアムステルダム大学に留学しました。一つ大きな目標としてはPh.D.を取るということがあったのですが、今年2月に取得することができ、今は大阪警察病院でクリニカルワークをしています。主にオランダで学んできたことは、クリニカルトライアルのマネジメントです。それを今何とか生かしたいと思っているのですが、なかなか難しいところもあって、今日はそういった話もできればと思っています。


【林】
僕は2004年に北海道大学卒業後、初期、後期研修を行った後、5年間小倉記念病院に在籍し、合屋先生(現在は東京医科歯科大学准教授)の下で不整脈を勉強しました。留学先も合屋先生の留学先であったドイツのハンブルグを選び、2014年から留学しました。留学先のAsklepios Klinik St GeorgにはFeifan Ouyangというアブレーションのスーパースターがいたため、直接指導を受けたいということもありドイツの医師免許を取得しました。取得するのに9カ月ほどかかったので、直接臨床に携わったのは1年3~4カ月でしたが、実際に手技を学ぶことができました。帰国して2016年の7月からは、後期研修をした病院でもある手稲渓仁会病院で不整脈部門の責任者を任せてもらっています。


【梅本】
私は2002年に鳥取大学を卒業後、東京医科歯科大学の医局に入局し、1年間大学で研修をして、その後は医局の関連病院などを回りました。おそらく今日の出席者の中ではかなり臨床経験を積んだ段階で留学した部類に入ると思いますが、臨床を13年経験した後、イタリアのベネチア近郊にあるミラーノに約2年間留学していました。 専門は虚血性心疾患のインターベンション治療ですが、イタリアではストラクチャーの領域も学んで帰ってくることができました。日本に帰ってきてもう1年半になります。


帰国後は東京医科歯科大学に入局しました。これまで「大学」という場所に所属していなかったので、経験すること全てが初めてで、慣れない中で1年半はあっという間でした。仙台での座談会からもう2年になるのですね。留学期間もそうですし、戻ってきてからもあっという間に過ぎた印象です。


【金子】
みなさん、ありがとうございます。では私も簡単に自己紹介させていただきます。2004年に大学を卒業しまして、ちょうど初期臨床研修が必修化になった年でしたので、市中病院で2年間トレーニングをして、その後は母校で基礎研究を中心に大学院で勉強をしました。その後は医局を離れて、カテーテルの勉強を東京の専門病院でしまして、2014年から林先生と同様にドイツに留学しました。TAVI、僧帽弁閉鎖不全症へのMitraClip、さらに左心耳閉鎖などのSHDインターベンションを勉強して、昨年の12月、ちょうど3年半ぐらい留学をして、今は東京大学医学部附属病院で仕事をさせていただいています。本日はよろしくお願いします。



留学先で実力を認めてもらうことで 

帰国後も関係性が続く


【金子】
出席者の先生方の自己紹介にはいくつもの重要なキーワードが入っていたと思いますので、順に伺っていきたいと思います。まず杉本先生にお伺いしたいのですが、昨今、留学においてビザの問題が厳しくなってきているようですが、何かお持ちの情報があれば教えてください。そしてもう一つ、留学から戻られてからも留学先のラボと継続して良好な関係を築かれていますが、そうした関係構築に重要な点があれば教えてください。


【杉本】先ほどのイタリアでのビザの話をもうちょっと詳しく言うと、イタリアというのはそれまで研究に限らず、就労に関してもビザの取得が緩かったのです。みんな学生で入ってきていた。ピザ職人もパスタ職人も誰もが国外から学生で入ってきて、ゴニョゴニョと市役所で就労ビザに切り替えるというのが常習化していて、それが当然のルートでした。ところがヨーロッパ全体から「もうちょっとビザをちゃんとしろ」となって、一気に法律の体系が変わってしまいました。僕はそのタイミングに当たってしまって、僕も含めて基礎研究系の先生たちはみんな1年間ぐらい暗黒期のようにビザが取れない状態だったというのが実情です。 


では今はどうかというと、こういう手続きをしてこういう法律にのっとってこうやれば留学できるというルートができて、今実際にミラノに留学されている先生もそういったルートを見つけました。実際には情報がオープンになっているというよりも、留学をサポートしている施設や病院単位でそういう情報収集をして、コネクションを病院単位で作ったうえで留学しているというのがイタリアの現状だと思います。


他国に関しては、ドイツは語学試験が高いレベルまで引き上げられていますが、ベルギーやオランダは比較的まだ留学に関して良心的な制度という印象です。実際に何人か留学を目指す人をこの1~2年でサポートしていますが、みんなちゃんとビザが取れています。それでもいま留学しやすい国、しにくい国というトレンドはありますね。


あと、関係性を続けるというのは、やはり留学先で実力を認めてもらうことが大事だと思います。よくわからないアジアの国から来た日本人がラボに入れば、最初の半年間ぐらいはあまり何もさせてもらえない、触らせてもらえない、信用もしてもらえないというところからのスタートです。その中で「ちょっとやってみる?」と言われたときにちゃんと結果を出すというのはとてもわかりやすい。実際、日本人の留学生は実力があるので、最初のステップは比較的みんなポンポンと越えていって、「お前、すごいじゃないか」となる。そのうえで、研究であればペーパーをちゃんと出す、ちゃんと結果を出すということをやっていくうちに信頼が得られるはずです。


また、僕が今も行っているラボは運動負荷心エコーをやっています。例えば不整脈のアブレーション治療をする人は多くて留学先の受け皿も多いですが、運動負荷心エコーをやっている人なんて世界でもそんなに多くはありません。その点では、運動負荷心エコーができるスタッフが帰国するとなると、「今さらそんなことを言わずに来いよ」という話になる。すごくニッチなので需要があるということですね。そういうところを探すのも一つだと思います。


【金子】なるほど、よくわかりました。


【梅本】イタリアのビザの話を少しだけ追加させてください。杉本先生のお話のように、私自身もいわゆる学生ビザの時代で、ちょうど移行期だったと思いますが、ただ簡単に学生ビザが出てきたわけではなくて、かなり困難もありました。そんな中で、重要なことは「食らいついていく」ということと「ネットワーク」だと思います。


食らいついていくということで言うと、たまたま東京都内に住んでいたというのもありますが、イタリア大使館員に顔を覚えてもらえるくらい10回以上通いました。ホームページに掲載されている要件以外にも「大学教授の推薦状があれば効果的でしょうか?」とか、「向こうからのインビテーションレター以外に共同研究の計画書などがあったらちょっとでも変わりますか?」というように食らいついていくことでわかっていったことも多かったです。また、イタリアに渡ってからも2人ほどイタリアへの留学をお手伝いしましたが、その時もいろいろ調べて、わかったことをネットワークで共有して徐々に進めていきました。


余談ですが、留学中、面識のない先生から問い合わせが2、3件ありました。そのうち1人の先生は熱狂的な僕のファンで(笑)、一時帰国中に実際にお会いしたのですが、留学相談の後、執筆させていただいた『The ヨーロッパ医学留学』の本を持って来ていて「サインしてほしい」ということがありました。それだけ、みんな留学の情報を得るには苦労しているということだと思います。宣伝じゃないですけれども、この本の果たした役割って非常に大きいなと実感しています。


市中病院だからこそ

留学しやすいところがある


【金子】
ありがとうございます。この本が役立っているというのが嬉しいですね。では次に末永先生に質問ですが、市中病院で臨床のかたわらずっと研究も続けられて、その頃から素晴らしい業績を出されていたわけですけれども、留学というとどうしても大学病院からが多いイメージだと思います。末永先生のように市中病院で研究を続けるために必要なこと、あるいは市中病院から留学を目指すうえで大事なことがあれば教えてください。


【末永】僕がしているのは臨床研究であって、基本的に患者さんを相手にした研究をしているので、いつも「患者さんがいないところで臨床研究は絶対できない」と思っていました。逆に患者さんさえいればあとは自分のスキル次第なので、臨床研究をするのだったら絶対に市中病院に行ったほうがアドバンテージがあると思っています。


それに大学の人事は基本的に2年程度で移動となることも多いですね。新しい職場となる病院にデータセットとかあればいいですが、なければビルドアップするのに2年はかかると思います。その後もろもろの環境を整えたりすると2年なんてあっという間です。そして慣れてきたころにまた次に行かなきゃいけなかったりすると大変です。僕にとっては10年間一つの病院で臨床研究ができたというのが非常に大きなアドバンテージとなりました。逆にそうじゃなかったら、とてもあのペースでは研究を続けられていなかったと思います。


だから僕からしたら、大学病院の先生たちのほうが留学は大変そうだなと思います。順番待ちがあるなど自分以外の因子によってかなり左右されている印象があるので。実際には僕も「留学に行きたい」と言ったら部長から「1年待ってくれ」と言われたのですが、準備をしていたら1年ぐらい経ってしまうので、結果的には好きなタイミングで行けました。また、「籍だけ残して欲しい」というわがままも受け入れてもらえたので、留学中のデータのやり取りもスムーズにできました。大学病院を経験していないので片方からの意見になりますが、僕はそういうふうに感じています。


実際に臨床ができること

症例数の多さからプラハを選んだ


【金子】
ありがとうございます。では続いて福永先生にお伺いしますが、先ほど「誰も行っていないところに行きたい」という言葉があって、チェコを選ばれました。ただ、当然のことながら、誰も行っていないところという不安もあったりすると思うのですが、なぜ留学先に選ばれたのでしょうか。


【福永】まずプラハを選んだのは、国際学会に参加した際、後に私のボスになる教授がプレゼンテーションをしていて、僕が小倉記念病院で10年間かけて集めた心室頻拍のアブレーションのデータが100件ぐらいあるのですが、それがその教授の病院だと年100件ぐらいだということで500~600件のデータを出されていました。それを見て、数をやっているところに行きたいなという思いがまずありました。


なおかつ横で見ているだけだと自分の技術として身に付かないので、実際に手に取って臨床ができるところを探していくとやはりヨーロッパになる。その中でも国が限られてくる。なおかつ、林先生が行かれていたようなAsklepios Klinik St. Georgなど超一流の病院は留学受け入れに順番待ちもあったり、ある程度コネクションがないと行けないという問題もありました。僕もそこまで強いコネクションがあったわけではないので、リスクを取ってでも新しいところでがんばりたいという気持ちがありました。決して緻密に考えてプラハを選んだわけじゃなくて、エイヤ!で飛び込んだところがあります。実際には留学先の病院主催のライブデモンストレーションを見に行って、その場でアプライしたというのが現状です。


ただ思っていたほど敷居は高くなくて、超が付くほどの一流病院じゃなければ、基本的にはそんなに世界中から応募があるわけではありません。その中で「いつでも来てくれ。いつでもいい」というふうに言われました。そういう意味では、自分のやる気をしっかりと見せて、きちんとコミュニケーションが取れれば、受け入れてはくれるところも多いと思います。


オランダで大規模臨床試験に関わり

国内でもやれるという感触をつかんだ


【金子】
では次に外海先生にお伺いしたいと思いますが、外海先生が留学されたアムステルダム大学のThorax Centerは、循環器医なら知らない人がいないような立派なセンターです。そこで外海先生はさまざまな論文を書かれていたわけですが、先ほどおっしゃったように今後は日本に戻られて、日本でもクリニカルトライアルをしていこうと。ただ、よく日本だとそうした研究が難しいと言われていると思うのですが、なぜそれが難しいのか。あるいは、それだけ難しいと言われながらなぜ解決できないのか、それに対してもし外海先生が今後のアプローチ方法を考えておられたらぜひ聞かせてください。


【外海】ありがとうございます。実際今、大規模な臨床試験をしたいと思って計画しているのですが、私の場合まず一つ、年齢的な問題が大きいと思います。私は卒後10年目になりますが、この年代で大きな臨床試験をするというのはまず日本では考えにくいです。通常は、大学教授などのネームが必要だと思われます。それプラス、例えば製薬業界ではきっちりとした臨床試験、治験が行われていますが、そういった取り組みに、私のような一般の循環器内科医が積極的に絡んでいける機会はこれまでありませんでした。単に治験が回ってきて患者をエンロールすることはありますが、では研究デザインにまで積極的に関われるかというとそうではありません。そういったカルチャーがありませんね。


あともう一つ大きな理由は、やはり資金です。臨床試験はどうしても大きなお金が必要で、オランダのCardialysisという施設も実はすごくお金がかかります。臨床試験の依頼を受けてデザインをして、マネジメントしてパブリッシュまで持っていくというのが同施設の仕事ですが、すごい大金が動いているわけで、そのクオリティーで今すぐ日本でもやるのは難しいと思います。ただ、オランダで学んできたことは、実際に関わった経験からがんばったらできるという実感ですね。今後、日本でも計画していけたらと思ってはいます。


ただ、いちばん最初に申し上げたとおり、まだ僕らの年代で大きな臨床試験ができるとかいうと非常に難しいです。そこで今、僕が考えているのは大阪大学と連携を取りながら、僕自身がこういったことをやりたいというふうに大学にアプライして、大学の名前を借りると言うとおかしいですが、大学としてのトライアルに自分自身が関与していけたらという状況です。


臨床をしたいと思ったら

可能性のあるところを探すべき


【金子】
ありがとうございます。次に林先生にお聞きしたいと思いますが、ドイツで医師免許を取られています。先ほど福永先生もおっしゃっていましたが、ヨーロッパに行って臨床で信頼を得ることは難しいと思うのですが、ヨーロッパで感じた日本人医師への印象や、手技で認められるために必要だと感じることがあれば聞かせてください。


【林】実際に臨床、つまり手技ができるかどうかということに関しては、ドイツはだんだん厳しくなってきているかなとは思います。ヨーロッパのライセンス関係は法律がよく変わることもあるので、瞬間最大風速を見極めるというか、今どの国が手技をやりやすいかという情報をつかめるかは大事になりますね。


その上で、自分がやりたい手技、例えば病院によってアブレーションはできるけれどもPCIはできないとか、ストラクチャーができるけれども他はできないといったことがありますので、そこはネットワークや情報を活用しなければなりません。本当に臨床留学をしたいのであれば、全くできる見込みがない施設に行って一から扉をこじ開けるというのは現実的ではありません。


多少の困難はありますが、ぜひ臨床留学に興味のある人にはチャレンジしてもらいたいです。僕自身が帰国して思っていることは、現在働いている病院で部門責任者をしているわけですが、自分一人で解決しなければならないことや、エンドポイントを決めなければならないことも多いです。そういった時、ハンブルグでスーパースターの手ほどきを受けて手技をしてきたということ、臨床留学でついた自信が、自分のバックボーンとして助けになっています。あの時、食らいついてドイツの医師免許を取って実際にカテーテルを握れたということは、非常に大きな経験だったと今でも思います。


臨床での信頼は

地道な積み重ねで必ず得られる


【金子】
そうしたヨーロッパの臨床現場での日本人医師に対する印象や評価は何か感じられましたか。


【林】やはり日本人は真面目ですよね。それはドイツでも周囲に伝わりました。僕は医師免許が取れるまでに半年以上かかったので、その間は手技には加われないため、3Dマッピングシステムやラボの操作を担当していたのですが、きちんと上司のEPSとかアブレーションについていけたので、理屈の部分では電気生理をしっかりわかっているという信頼が得られました。あと、カテは握れませんが止血はできました。ドイツ人はそういう面倒くさいことは嫌がります。また、看護師さんが点滴取れないときは点滴を取ることもOKでした。アブレーションはしちゃダメなんですが(笑)。そういうドイツ人が嫌がる雑用を率先してやっていると「あいつはあのとき頑張っていたからな」みたいな感じで周りがだんだん優しくなっていくのを感じました。そこにちょうど医師免許が下りたので「どうぞどうぞ、Kentaroやってよ」という雰囲気が出来上がっていました。


先ほど杉本先生もおっしゃっていましたが、留学した段階で自分の実力の2段階、3段階ぐらい周囲からは下に見られているので、いきなり自分の専門で実力を発揮するというのは難しいかもしれません。だから下積み作業をしているうちにちょっとずつ認められて、周りの雰囲気を半年から1年ぐらいかけて作っていくことが大事だと思います。そこを腐らずに地道にやれば、その先は日本である程度やってきた人であれば、向こうでも十分通用すると思います。


【福永】日本人が留学するって、ある程度基礎ができた人が留学することが多いのですけが、他国の留学生にはズブの素人というか、全くカテーテルを握ったこともないけれどとりあえず国のお金で来ましたみたいな人も結構います。その点で、日本人は実力がある人が多いということで信頼されているのと、やはり先達というか、これまで留学してきた人たちが真面目に仕事をしてきたから、「日本人は真面目に仕事をする」というイメージの恩恵もあるのだと思います。


【林】そうですね。留学時ははじめからある程度の信頼感があると感じられたので、入っていきやすいところはあったかなと思いますね。だから、福永先生のように最初の日本人としてチェコの病院に留学して、そこで信頼を得ていくことは大変だろうと思いますが、それでも真面目に仕事をしていれば環境は良くなっていくということですね。


【杉本】自分が持っている能力をどう相手にわかってもらえるかですね。でも、日本人は得意じゃない人もいますね。いっぱい能力を持っているのに、それを囲い込んでしまって誰にも教えない、表現しない、伝えない。いつでも自分が持っているものをちゃんと相手に伝えること、全く違う文化の人たちにどう理解してもらえるかというのは大事かなと思います。


国内で身につけたスペシャルな部分が

留学先での武器となる


【金子】
なるほどよくわかりました。では梅本先生、先ほど少し年齢が上がってから留学されたとおっしゃっていましたが、先生が考える一番良い留学時期、もちろん人それぞれだと思うんですけれども、どういうふうにしてその時期を決めるべきなのでしょうか。


【梅本】人それぞれというのは前提としてあります。いまお話があったように、ないものは出す必要はない、つまり出せないわけですが、ではどれぐらい蓄えた上で行くかです。臨床留学なのかそうじゃないか、また分野によっても違うかもしれませんが、3年目、4年目ではないですね。少なくとも認定医レベル、虚血で言えばCVITの認定医レベル。ある程度の基礎、少なくとも後輩への指導経験があるレベルは必要です。5年目、6年目ぐらいから少し考えられるでしょうか。ただ、それでも自分が持っているスペシャルを披露するのはまだ難しいかもしれませんね。


私自身の留学のタイミングが遅くなってしまった理由は、コネがなかったことに尽きますが、留学をしようと思い始めてアメリカの病院まで行って話を聞いたり、イギリスの病院の先生と話やメールのやり取りなどしていましたが最後までまとまらなくて、気づいたら5年経っていました。ですので、自分としては遅かったと思ったのですが、その分、日本で身につけた自分のスペシャルな部分を留学先で伝えることができ、自分の武器になりました。


留学のタイミングは人それぞれ。家族や子どもの就学も大事なポイントになってきますし。また帰国後のことも考えると15年過ぎてからというのは遅い気がします。


【金子】帰国後という点では、先ほどあっという間に時間が過ぎたとおっしゃっていましたが、その中で留学で学んだことをどのようにうまく還元していけばいいでしょうか。


留学前には考えてもいなかった

デバイス開発に力を注ぐ


【梅本】
先ほどお話ししたように、自分のキャリアにおいて大学病院で過ごしたことがなかったのに、留学後に大学病院に戻った理由の1つは、留学中の臨床研究でペーパーを書かせていただき、それを大学院の博士論文にするために大学に戻る必要があったからです。もう1つは、留学先で東欧などから来た基礎知識の十分ではない留学生の教育係をしていたのですが、PowerPointのチェックや学会発表まで、慣れない英語で、国籍も違う人間とぶつかり合いながら指導をさせてもらいました。苦労はしたのですが、そのやり甲斐はとても感じていて、帰国後、大学に戻ってまだ少しだけですが学生さんに対する授業を楽しみながら担当しています。この2つはもともと留学目的ではありませんでしたが、新たに見つけた価値みたいなものですね。あとは、とにかく後輩たちをどんどん自分の跡継ぎじゃないですが、送り出していかなくちゃいけない。それによって、杉本先生も言われていましたが、共同研究が続くこともありますので大切なことだと思っています。


もう1つ、今とても力を入れているのが、デバイス開発につながる研究です。ヨーロッパはデバイスの認可が早いというのは皆ご存じのところですが、その後かなり淘汰されて、確固たる実績を持ったデバイスだけが日本に入ってきます。ところがヨーロッパであれば私が留学していたような小さな病院でも、欧州や米国のベンチャー企業の人が来て「こういうデバイス作ったのだけれども、使ってみてもらえないか」と協力の依頼があります。そうした環境に刺激を受けて、まだ知識もありませんが、少なくともアイデアだけは日本発のものを作りたいと考えるようになりました。大学で日本発のデバイスを開発する研究をしたい。もちろん実績なんてないわけですが、そういうことを常々言っていると、聞いてくれる人はいるものです。まだ研究段階でも本当に基礎研究みたいな状況ですが、デバイス開発につながるような研究を今スタートできているわけで、これも留学する前には全く想像もしていなかったことですね。


大事な三つの共通点


【金子】
ここまで先生方のお話を伺っていると、大事な共通点がいくつかあったと思います。その一つは、情報をいかに得るかということです。医師免許やビザの問題、法制度の変化は早いのでアップデートされた情報をしっかりキャッチアップすること。梅本先生もおっしゃったように、この本(『The ヨーロッパ医学留学』)を読んでくださっている方は多くて、この本によって留学をモチベートされたと声も聞かせていただくことがありますが、その反面、各執筆者にお願いして取り上げてもらった一次情報が掲載されているウェブサイトを見た人は少ないようです。情報は一次情報に触れること、アンテナを張ること、これらがとても大事なのかなと感じました。


次に、タイミングです。日本の医師は慎重なところがあって、自分はまだ実力が足りないんじゃないか、専門医を取ったけれどもPh.D.を取っていないからまだだ、などと言っていると時間ばかりが過ぎていきます。反対に、実力がない状態で行っても認めてもらえないわけですから、自分自身の実力を客観的に評価する目も必要ですね。また、その上で自分が行きたい施設に行ったらどういった仕事ができるのかをしっかり見極めること。どうしても今波に乗っている、風が吹いている分野というのは当然あります。おそらくここにいらっしゃる先生方が行かれた分野というのはそういった風が吹いている分野で、そのことによって、苦労もされたと思いますが、結果として留学を成功させているのではないかと思います。


そして最後にもう一つ、この座談会もそうですが、「ネットワーク」「人のつながり」というのが非常に重要であって、一次情報と同様、生の情報というのはすごく大事です。メールよりも実際に会って、時には酒も飲み交わし語り合うという時間も大事ではないかと思いました。


>>>次回へ続く
The座談会 ヨーロッパ医学留学をおえて(第2回)は7月24日頃配信予定です。

The座談会 ヨーロッパ医学留学をおえて

書籍『Theヨーロッパ医学留学』の刊行から2年、帰国した執筆者たちが帰国前後のエピソードから現在の国内臨床での活動、そして今後についてまで語り合います。

無料 隔週(3回連続企画)

筆者プロフィール

Medimaga編集部

メディカ出版

Medimaga編集部

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